価値を変化させるということは、自身に対して負荷をかけるということである。価値が変化する状況は、価値が変化しない状況に比べて、自身にかけられる負荷は大きなものになる。
価値という言葉の意味について考えたいと思ったのは、自分がどうしても拘ってしまうこと、こうでなければならないと感じてしまうこと、AではなくBを選ぶべきだと考えてしまうことなど、これら一連の窮屈な発想はいったいどこから来るのだろう? と思ったことがきっかけだった。こうした拘りは、その理由について考えることができるし、その正当性について説明することもできる。自分がそのように考えるに至った背景についても、後付けではあるのかもしれないが、ある程度は説得力のある形で提示できるはずだ。
けれど、それではその自分の拘りというものがどこまで妥当なものなのか。例えばBではなくAを選ぶ人に対して、自分がAではなくBを選ぶ理由を説明し、相手にも自分と同じようにAではなくBを選ぶように説得すること。それがどこまで妥当なものなのかと問われると、自分がこれまで考えてきた価値というものへの信頼は失われ、自分の判断は自分の判断としては適切なものであったとして、だからと言って相手の判断が間違っているとは限らないし、自分の考える価値というものが絶対だなどとはとても考えられない、という思いに駆られてしまう。
私たちは、世界を構成する諸要素について、「価値がある」「価値がない」という言い方をする。そしてある人にとっては価値のあることでも、別のある人にとっては何の価値もないことである、という事実を知っている。人はそれぞれ「価値がある」と思うことを選択し、「価値がない」と思うことを選択しないことで、効率的に行動し、生活している。価値のフィルターは、無駄な諸要素をカットし、有益な諸要素のみをインプットするための手段である。そして、こうした価値を取捨選択する際の基準は人によって異なるものであり、絶対的なものではないことを知っている。
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