カルテット

こんにちは。
LITTLE MAN BOOKSの大和田です。

先日、「カルテット」というドラマを見ました。松たか子、満島ひかり、松田龍平、高橋一生の4人の主演する連続10回のドラマです。題名の「カルテット」とは弦楽四重奏のことで、主演の4人はヴァイオリン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを弾く、売れない弦楽奏者です。

彼らはある日、カラオケボックスで偶然同じ時間に扉を開き、出会います。そしてこの偶然(のちこにこれが偶然でないことがわかるのですが)をきっかけにカルテットを組み、軽井沢の別荘での共同生活が始まります。4人はそれぞれ秘密を持ち、恋と事件が交錯する中、物語が進んでいきます。

彼らはそれぞれ「欠点」を持ち、人生もうまくいっていません。何より彼らはコミュニケーションが下手であり、奥手であったり、声が小さかったり、融通が効かなかったり、寝てばかりいたり、自分の意見ばかり主張したりします。こうした「何かが不足している」ことが、ドラマの中では中心に穴の空いた「ドーナツ」に例えられます。

このドーナツの例えの由来は、老い、落ちぶれたピアニストであるイッセー尾形の話によるものです。彼の存在は、主人公たちにとっての「未来の自分」です。イッセー尾形は余命9ヶ月を売りに仕事を手に入れますが、9ヶ月を過ぎても亡くなることはなく、生活の場を転々とせざるを得ない、流浪のピアニストです。

そしてそのイッセー尾形の「遺言」を伝えるのが、この物語のもう1人の主人公、吉岡里帆です。吉岡里帆は男を誘惑し、成り上がろうとする悪女として登場しますが、その姿は悪女を通り越して狂女の域に達しています。それも、地下アイドル出身の「目が笑っていない」現代的な狂女です。

吉岡里帆はコミュニケーションスキルを異常なまでに高めることで「嘘の世界」を作り出し、その中で生きることに成功した女性です。そして、主人公たち4人もまたどこかに秘密、嘘を抱えながら生きている人たちです。けれども吉岡里帆が120%嘘の世界の中にいるのに対し、4人は嘘の中の小さな真実に希望を見出して生きています。

彼ら4人のドーナツは、この小さな真実によって「円」を構成しています。中心は相変わらず抜け落ちたままですが、4人の関係性は、その不完全さを楽しむ術のなかで成立しているのです。そしてもし「真実」というものがあるとすれば、それは100%の真実の中にではなく、こうした虚実のないまぜになった「不完全な関係」の中にこそあるのではないか、と思います。

弱さの肯定を、安易に「モラトリアム」と呼ぶことはできません。なぜなら、すべての人は弱さの中で生きていかなければならないのであって、弱さを否定するには「嘘」が必要になるからです。そしてその嘘は反対に弱さを暴き立てるものとなり、強さにつながることはありません。弱さに対しては、弱さに向き合うことしか対処の方法はありません。

大きな嘘の中の小さな真実は、救いであり、希望であり、現実の手応えです。小さな感情、何気ない言葉、それほど上手いわけではない3流の演奏。この不完全さの真実に気づいていない人は、現実を見ることのできていない、不幸な人でしょう。不完全な演奏と不完全な関係、不完全な人生。その中にあるリアリティというものを、このドラマは伝えてくれます。