動機マイニング

結局のところ「本を作る」ということは、その著者がこれまでに経験してきたプロセスを、それを経験したことのない人に向けて、「本」という形で伝える作業にほかならない。

この人は、これまでどんな人生を経てきたのだろう。どんな仕事をして、どんな知識や経験を得て、どんな価値観を養ってきたのだろう。また、この人は朝何時に起きて、いつ、どこで仕事を始め、いつ仕事を終えて、いつ眠るのだろう。そして、この人はどんな家族がいて、交友関係があり、どんな人と仕事をして、どんな人に、何を伝えたいと思っているのだろう。

本の著者との打ち合わせで、このようなことを考え、そしてこれらの疑問を投げかけてみる。すると、この人がどんな本を作りたいと思っていて、どんな本を作ることができて、その本はどんな人に届けるとよいのかがわかってくる。本は、それを書く人の内側にないものを反映することはできないし、内側にあるすべてを反映することもできない。そして、本はその人のある特定の一部を、ある角度からしか切り取ることができない。

この「特定の一部」とは本の内容であり、「ある角度から」というのは形式である。形式は、演出や仕組みと言い換えることもできる。同じ内容を扱っても、切り取る角度が変われば、それは異なる本になる。内容や形式の大半は、「その人」が持っている「その人性」によって決定づけられる。本に落とし込むことができるのは、その人の総体であり、その人の持っている思想、性格、価値観である。要は、「無理は効かない」ということだ。

「本を作る」という動機は、その著者が持っている「何を伝えたいか?」「誰に伝えたいか?」「どのように伝えたいか?」という欲求に等しいものとして考えることができる。これらの欲求の裏付けとなっているのは、その人がこれまでに経てきた経験である。結局のところ「本を作る」ということは、その著者がこれまでに経験してきたプロセスを、それを経験したことのない人に向けて、「本」という形で伝える作業にほかならない。

だから編集者が最初に行うのは、これら「著者の経験」をリサーチすることである。リサーチの初期の時点で、著者から与えられている本のイメージ(その人の総体)は、その多くの部分に欠落が見られる(潜在化している)。そこで編集者は、その人の井戸の底へと降りていき、欠けたピースを掘り出し、地上の白日の下に露わにするところから作業を開始する。編集者は、著者という井戸の底の底まで、深く、深く降りていかなければならない。

広く把握しなければ、どれを選べばよいのかわからない。深く把握しなければ、どのくらいの深度で本を作ればよいのかわからない。その人についてよく知らなければ、潜在的な能力を最大限に発揮させることはできない。編集者は、広く、深く、その人を走査し、可能な選択肢を最大限にまで広げた上で、自在な取捨選択、自由な配置の変更を行うことのできる環境を作り上げなければならない。

編集者は、その人が持っている情報は、否応なしにその人自身と深く結びついているということを理解しておく必要がある。「情報」という概念は、思考や経験が、あたかも誰もが等価に扱うことができる形で「外的に」保存されているかのような錯覚を与える言葉である。情報は確かにデジタルデータとして流通し、誰しも閲覧、所有、理解することができる形態となっている。しかしそれらはいずれも、外在的な情報であり、内面化された経験ではない。

情報は、本来それをアウトプットした人の思考や経験、そして欲望に由来するものである。その意味で、情報はその名のイメージに反して、発する人に強く紐づけられている。情報は自由に交換できるが、それは「情報というレイヤー」上での話でしかない。情報が情報であることを乗り越えるには、それを発した「人」や「組織」の意図をくみ取り、かつ情報をインプットした人自らがアウトプットする(再情報化する)必要がある。情報には必ず意図がある。それは発信者の動機、欲望である。

情報に接するとき、それは単なる0と1のデータなどではなく、その発信者の欲望であることを知っておく必要がある。編集者は、本という形で情報の発信を行う上で、目の前にいる人の動機、すなわち欲望を掘り起こす。なぜ、どのように、何を、誰に。こうした動機のマイニング(採掘)こそが、本を作るということの出発点である。発掘されたその人の「その人性」は、本という形に加工され、市場へ流れていく。

著者の動機を発見し、そのポテンシャルを十全に発揮させ、本という形に落とし込むこと。そこには、著者の内側に見出された内容と形式が反映されてある。 書名やデザイン、文章、写真も、そのようにして得られた著者の欲望から発せられた線である。本の内と外とを構成するすべての要素は、著者の「その人性」から始まり、「その人性」の「本という拡張」へと行きつく。その総体を理解していなければ、編集という仕事は些末なテクニックの集積で終わってしまう。

2020/3/16
littlemanbooks.net