品川→名古屋

品川から出発した新幹線は、すでに東京駅で大勢の人が乗り込んでいた。

僕は名古屋の実家に帰るため、品川に向かった。品川までは、三軒茶屋、渋谷を経由して、3つの列車を乗り継ぐことになる。山手線で渋谷から品川へ向かうまでの時間はいつも、想像より長く感じられる。僕は「ヴェネツィアの出版人」という本を開き、読み始めた。渋谷を出て2つ3つ駅を過ぎると、次第にシートに空席が目立ち始める。ふと顔を上げると、品川の1つ前、大崎に着いたところだった。乗り過ごさないように本を閉じ、グレーのトートバッグに投げ入れる。

品川駅の売店でお土産を見繕い、クリスマス仕様のフィナンシェを買う。クレジットカードを使える券売機を見つけたが、4桁の暗証番号がわからない(もう何年も忘れたままになっている)。現金を使える券売機を探して、3分後に発車する列車の指定席券を買った。土曜日の午後だったけれど列車は空いていて、隣と後ろのシートは空席になっている。

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「移動」について

新幹線のシートに座って外を流れる景色を眺めていると、もしも新幹線が透明だったなら? と思うことがある。

僕たちはいつも、多かれ少なかれなんらかの移動をして日々を送っている。家と会社の往復、家と学校の往復、旅行で温泉に出かけたり、出張で海外へ行ったり、日曜日に買い物へ出かけたり。移動の方法も、徒歩で、自転車で、自動車で、列車で、飛行機でなど様々だ。人は様々な方法で、様々な場所への移動を行っている。それでは、これらの移動を行っているのは、いったい誰だろう? もちろんそれは「私自身」であるはずだ。けれど、果たして本当に「私」が「私」として移動していると言えるのだろうか?

例えば、私の「身体」はどうだろう。身体がその位置を変えるとき、それは確かに移動であるように見える。A地点からB地点へ、現実として、身体は移動を行っている。それは客観的な事実としての移動である。身体は物理的な存在として、移動を行っている。

例えば、私の「意識」はどうだろう。意識の中で、これから移動する場所について想像する。過去の幼少期の思い出を回想する。本を読み、そこで語られている世界の中へと入り込む。それらは、想像の中で思い描かれる、場所や時間の移動である。

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整理/補完/肯定③

肯定の姿勢は「相槌/反復/質問」として外に現れることによって、著者の思考、アウトプット/インプットの循環、新しい世界の生成を加速させる。

要素の整理を行う平面と、平面に対して垂直方向に加えられる補完の作業。これらはいずれも、著者と編集者の「話す/聞く」やり取りによって進められていく。編集の目的は、著者の思考の中へと入り込むこと、著者の思考に寄り添うことによって、著者がこれまで気づいていなかった、新しいコンテンツの可能性を汲み上げるところにある。こうした状況/作業そのものを支え、かつ推進させていくための力となるのが「肯定」である。

編集者は否定をできる限り遠ざける、ということはすでに述べた。本の完成イメージに対して、「正しい/誤っている」という判断は存在しない。存在するのは、どちらが「よりよいか/より悪いか」という相対的な判断であって、その判断の精度は仮説の数によって担保される。編集者が否定をすると、そこには「正誤」の判断基準が生まれ、価値の絶対化が図られてしまう。

バリエーションAとB、Cがあった場合、編集者はどれかを選ぶものの、選ばれなかったバリエーションは否定されたわけではない。編集者は疑問を呈するが、それは否定を目的とするものではなく、仮説を立てるためのものだった。仮説の1つであるバリエーションは、肯定の上に乗せられている。編集者は疑問を呈しても、削除はしない。選ばれなかった仮説/バリエーションはいったん脇に置かれるが、いつでも再発見、再利用されうるために保管されてある。

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整理/補完/肯定②

補完とは、水平的な編集作業であった「整理」を行う場に、垂直に近い形で投下される「投げ込み」であって、それは現在の状況に対する「疑問/仮説/検証」を行うものとなる。

整理が、ある特定の水平の盤を舞台にした安定的な編集の作業であったとすると、補完は盤上の構成要素や、ゲームのルールそれ自体に問いを投げかける、よりドラスティックな編集作業であると言える。

補完はその名の通り、現在盤面に置かれている、つまりコンテンツの候補として俎上に載せられている要素群に「不足している要素」を補完する作業である。しかしその操作は、単に足りないものを補うということではなく、現在の盤面の状態そのものを揺れ動かす形で行われる。

その意味で補完とは、水平的な編集作業であった「整理」を行う場に、垂直に近い形で投下される「投げ込み」であって、それは現在の状況に対する「疑問/仮説/検証」を行うものとなる。整理が「そこにあるもの」に対する操作であるのに対して、補完は「そこにないもの」を提起する操作である。

そして、補完は否定ではない。次の「肯定」で示されるように、編集者の基本的な姿勢は「肯定」である。否定は現状を否認するが、補完は現状に対して疑問を提起する。補完は現状を見直す契機となることを意図しているのであって、断定や拒絶、結論とは無縁の操作なのだ。

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整理/補完/肯定①

「整理」とは、コンテンツを構成する各要素を机のような水平面に並べ、全体を2次元的に把握しやすくした上で行われる編集作業である。

編集者は、著者からのアウトプットをインプットし、適切に「整理/補完/肯定」した上で、著者へのアウトプットを行う。著者からのアウトプットで得られたコンテンツは、その全体を細かく分割することで、編集の対象となる。この分割されたあとの最小単位を、ここでは「要素」と呼ぶ。整理/補完/肯定は、この「要素」に対して行われる処理の内容である。

まず「整理」について。整理は編集作業のもっとも一般的な方法で、例えば次のような作業が含まれる。

①移動
②分類
③結合
④分割
⑤階層化

①移動は、本が単線的なメディアであることに起因する作業である。本は、コンテンツの各要素が前後に配置されることで構成される。著者の持つコンテンツは、本という形態へと置き換えられる過程で、この前後関係に基づいて再構成される。この、本という形態を前提とした前後関係の調整が「移動」である。A、B、Cという要素があった場合に、A→C→Bという並びが適切なのか、B→C→Aという並びが適切なのか、C→A→Bという並びが適切なのかを判断するのが、「移動」の作業になる。

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