整理/補完/肯定③

肯定の姿勢は「相槌/反復/質問」として外に現れることによって、著者の思考、アウトプット/インプットの循環、新しい世界の生成を加速させる。

要素の整理を行う平面と、平面に対して垂直方向に加えられる補完の作業。これらはいずれも、著者と編集者の「話す/聞く」やり取りによって進められていく。編集の目的は、著者の思考の中へと入り込むこと、著者の思考に寄り添うことによって、著者がこれまで気づいていなかった、新しいコンテンツの可能性を汲み上げるところにある。こうした状況/作業そのものを支え、かつ推進させていくための力となるのが「肯定」である。

編集者は否定をできる限り遠ざける、ということはすでに述べた。本の完成イメージに対して、「正しい/誤っている」という判断は存在しない。存在するのは、どちらが「よりよいか/より悪いか」という相対的な判断であって、その判断の精度は仮説の数によって担保される。編集者が否定をすると、そこには「正誤」の判断基準が生まれ、価値の絶対化が図られてしまう。

バリエーションAとB、Cがあった場合、編集者はどれかを選ぶものの、選ばれなかったバリエーションは否定されたわけではない。編集者は疑問を呈するが、それは否定を目的とするものではなく、仮説を立てるためのものだった。仮説の1つであるバリエーションは、肯定の上に乗せられている。編集者は疑問を呈しても、削除はしない。選ばれなかった仮説/バリエーションはいったん脇に置かれるが、いつでも再発見、再利用されうるために保管されてある。

肯定の対象は、突き詰めると著者ということになる。著者が自らの思考に向き合い、そこから淀みなく新しいビジョンを掘り出してこられるようにするための環境構築が、肯定なのだ。環境としての肯定があってはじめて、著者は自らの思考の底へと安心して潜っていくことができる。そして肯定があってはじめて、著者は思考の底から掘り出してきた鉱石を自信をもってアウトプットすることができる。

肯定には、具体的に次のような行為が含まれる。

①相槌
②反復
③質問

これらは確かに行為であるけれど、行為以前の「肯定という姿勢/意識」から発している。肯定の内在的な姿勢/意識が、結果として、これらの外的な行為として現れてくる。肯定の姿勢は「相槌/反復/質問」として外に現れることによって、著者の思考、アウトプット/インプットの循環、新しい世界の生成を加速させる。肯定は、外の世界で「結果的に」を生むための、内的環境の地ならしなのだ。

①の相槌は、アウトプット/インプットのリズムを生むための所作である。相槌には、「声によるもの」「身体によるもの」「呼吸によるもの」等がある。いずれも著者と編集者との対話にリズムを作り出し、思考の歯車を肯定の方向へ回し続けるための方法である。相槌のタイミングがうまくないと、歯車の動きは途端に鈍くなり、減速していく。また、肯定とは反対の、否定の方向へと回り始めることすらある。

相槌は、いたって身体的な所作である。声(「ええ」「ん」「ああ」「なるほど」「そうなんですか」といった簡素な発声)、身体(目や頭、手などの動き)、呼吸(著者と呼吸を合わせる)といった、言語によって意味化される以前の「身体による肯定」の方法であると言える。それゆえ相槌は、インプット/アウトプットの最下部に流れる通奏低音として、対話を肯定の方向に進めていくための大きな役割を担っている。

②の反復は、著者が話した言葉の端的な繰り返しである。著者は声に出してアウトプットを行う。その声を著者自身が聞いているが、その言葉を編集者が再度繰り返すことによって、著者は同じ言葉を2回聞くことになる。自分の言葉を2度インプットすることによって、自身の言葉に対する確認と信頼が生まれ、また自身の言葉を客体化できるところまで距離を取ることができる。

反復によって繰り返される語彙は、著者の言葉のごく一部でよい。しかしその一部は、著者の言葉の中でもっともキーとなる部分である必要がある。キーとなる部分の反復によって、著者の思考のその個所は強くフィーチャーされ、マーキングされる。それにより、自分の発言の重要な個所を暗黙裡に気付くことができ、結果、そのマーキングされた箇所を、思考を先に進めるための契機とすることができる。

反復のバリエーションに、「言い換え」がある。これは、著者の言葉をそのまま繰り返すのではなく、別の表現に言い換えて繰り返すことである。元の表現を言い換えることによって、その意味するところに新しい側面からの光が当てられる。そこから新しい解釈、思考の流れが生み出されることが期待される。それゆえ言い換えは、元の表現をより明確にするものでなければならず、曖昧にするものであってはならない。

③の質問は、「補完」における「疑問」とは異なるものである。質問は、著者の思考を先へ進めるためのものであり、新しい仮説の創出といった効果は期待されていない。質問は、問いを立てることによって著者の思考を刺激し、追加のコンテンツを汲み上げるための、軽いポンプのような役割を持っている。質問によって著者は、自分の思考の中で漏れていた部分に気付くことができる。また、いまだ整理できていなかった部分に気付くことができる。

質問に答えることで、著者の思考は一歩先へと進む。その一歩はあくまで一歩であり、補完のような大きな振り幅を持つものではない。しかしこの小さな一歩の積み上げによって、著者は確実に歩を進めていくことができる。質問は、著者の歩みを遅くするものであってはならない。その意味で、質問がどちらの方向を向いているかは重要である。それは、著者と編集者が目指すゴールへと向かう質問でなければならない。

このように、肯定の意識、および所作は、自転車の補助輪のようなものである。あるいは、電動自転車のモーターのようなものである。それは思考が先に進むための、思考が転ばないようにするための、アシストの役割を担っている。肯定は、インプット/アウトプットの盤を維持し、その動きを推進させる役割を担う。編集者の根底には、肯定の意識がなければならない。否定へと落ちることなく、ただただ肯定し続けること。

2020/2/5
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