写真集「HOME」のこと⑤

土楼は客家を抱き込み、客家は自身の心に中原を抱き込む。

2019年の11月。大阪の書店「blackbird books」さんを訪問した折、店主の吉川さん、写真家の中村さん、僕の3人で、写真集「HOME」の話をしていた。その時、中村さんが次のようなことを話していた。「当時の彼らには、土楼に皆が戻ってきて、そこでまた一緒に暮らせる日が来るという淡い期待がまだ残っていたと思うんですよ。」。「当時の彼ら」というのは、中村さんが「HOME」に収録されている写真を撮影した、2006年から2008年にかけての客家の人々のことである。

2019年の夏、中村さんは、10年ぶりに福建の客家と客家土楼を訪れた。写真集を完成させるにあたって、客家と客家土楼の現在を見ておきたいということだった。かつて訪ねた土楼を再訪し、写真を撮影した人の中にはすでに亡くなっている人もいたが、幾人かの人とは再会することができた。帰国した中村さんは僕に、10年前に感じた客家の人々の力強い印象が、今回は感じ取れなかったと話してくれた。

客家は、戦乱を逃れて中華文明発祥の地である中原を追われた人々で、漢民族のルーツであると言われている。彼らの一部は福建の山奥に定住したが、その後も中原を忘れることなく、自分たちのルーツを保持し続けることを選んだ。客家とは、失われた故郷としての中原という幻想を、現実として生きてきた人々であると言える。

客家は、移り住んだ地に、土楼という住居を建てた。客家は土楼を自分たちのもう1つの故郷として構築し、それを守ってきた。土楼の中には先祖を祀る祠が設置され、香が焚かれ、日々祈りが捧げられた。客家の人々は、中原という失われた「故郷」を包み込むようにして土楼という「家」を作り、その中に生きてきたのだ。土楼は客家を抱き込み、客家は自身の心に中原を抱き込む。

中国の経済発展に伴い、客家の働き手は土楼を離れ、都市部や海外へと移動していった。中村さんが撮影を始めた2006年、土楼に住んでいるのは、すでに老人ばかりだったという。そして人の住まなくなった土楼は、すでに崩落が始まっていた。2019年、中村さんが再訪すると、そこでは土楼の2極化が進んでいた。世界遺産に登録された土楼や、親族からの支援が得られた土楼の保存が進む一方、そうでない土楼では、さらなる崩壊が進んでいたのだ。

保存と崩壊。お金と諦念。客家、そして中原を守るカプセルとして機能してきた土楼は住む人を失い、遺跡として保存されるか、崩壊し土に帰っていくかの選択を迫られている。保存された土楼は生活の場であることをやめ、観光や、1年に1回祭の場として親族が集まる、特別な場所として利用されるようになっている。

今、土楼の周囲には近代的な建物が立ち並んでいる。都市部から戻ってきた人は土楼には帰らず、鉄筋コンクリートのビル群に住む。あと5年、10年もすれば、今かろうじて土楼に住んでいる老人たちも姿を消し、土楼は無人の建造物となるだろう。10年前、中村さんが客家土楼を巡った際、案内してくれた現地の男性が、いつもこう話していたという。「 今、ここで見える風景も5年もすると夢と消えるだろう」。

これまで客家を、中原を包み込んできた土楼は今、その内側に虚空を包むばかりである。中原、そして土楼。客家の人々は、二重に「家」を失ったのだろうか。そして土楼は、空っぽの中心として機能を始めているのかもしれない。空であるもの、存在しないものこそ、絶対的なもの、わからないものとして、崇め、祀ることができる。

土楼は、祈りの対象として残り続けるのか。土楼が崩壊し、土に帰ったあとも。あるいは遺跡として保存され、歴史へと還元されたあとも。いや、むしろ失われれば失われるほど、土楼の無としての存在感は高まっていくのかもしれない。客家は新しい住居で中空の土楼を取り囲み、その中心に向けて祈りを捧げる。かつてあった故郷としての中原、またかつてあった家としての客家土楼に向けて。

2019/12/26
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