写真集「HOME」のこと④

客家という言葉の中では、本来は相容れないはずの隣人が同居し、互いに軋みをあげているのだ。

「HOME」という写真集は、「客家」と呼ばれる人々のポートレイトと、その住居である「客家土楼」の写真から構成されている。中村治さんの話を聞くまで、僕は客家という人々の存在も、客家土楼という建物があることも知らなかった。そして中村さんに「客の家」と書いて「はっか」と読むのだと教えられたとき、 僕の中で「客家」という言葉が俄かに騒めいた。

家には主人がいる。つまり主の家である。それが当たり前であるはずなのに、客の家というのはどういうことなのだろう? 家がある。その家には主人はおらず、客しかいない。客しかいない家? 客家という言葉は、「客」と「家」という2つの交わらない文字を、1つの言葉のうちに孕んでいる。客家という言葉の中では、本来は相容れないはずの隣人が同居し、互いに軋みをあげているのだ。

客家には、「客家土楼」という特異な家がある。はじめて客家土楼を見た時の印象を、中村さんは「空間にいきなりコップがゴンって置かれているような」と称した。それは土楼という存在の、周囲から自らを疎外する違和の感触を言い表している。その土地の土地性から外れた異様な存在。いきなり現れた異質な建造物。それが客家土楼であり、そこに住む客家と呼ばれる人々の存在なのだ。

「印象派」という呼び名が最初は外から付けられた蔑称であったように。そして、それがいつしか、自身を肯定する呼称として印象派と自称するようになったように。「客家」もまた、蔑称であったものが、いつしか自身を肯定して指す呼び名として定着したのだろうか。しかし、客家にとっての「客家」という言葉の意味合いがいかに変わろうとも、その言葉には、2つの文字が持つ意味が残り続ける。客家は客家である限り、「客の家」であり続けるのだ。

彼らが客家を自称することを厭わなかった理由は、彼らの中原への思いにあるのかもしれない。客家は、戦乱を逃れて中原を離れ、福建省や四川省などへと流れていった。いわば、故郷を追われた人々である。故郷を追われた人々が取る選択肢として、その地への順応がある。流れ着いた先の土地になじみ、その土地の人々と混じりあっていく。それに伴い、自身のルーツは曖昧なものとなり、忘れ去られていく。

しかし客家は、その選択を取らなかった。強固な外壁によって覆われ、外部を拒絶する客家土楼という住居を作り上げ、他と混じることを是とせず、自分たちの血を守り続けた。そこに、客家が自ら客家と呼ぶようになった自負を感じることができる。自分たちはこの土地ではあくまでも客人であり、自分たち本来の家、故郷は、未だ中原にあるのだ、と。客家が自ら客家であることを肯定する所以である。

彼らにとっての中原はしかし、もはやある特定の地域、場所を示すものではないのかもしれない。客家にとっての中原は心の中で増幅され、仮想された場所へと変化していったのではないだろうか。中原とは、「中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のこと」である(Wikipedia)。それは、ある特定の、地理的な範囲を示す言葉に過ぎない。しかし客家の人々にとって、中原という言葉は単なる場所以上の意味を持つ。人の想いが、記号としての言葉に特別な意味を吹き込むのだ。

仮想された場所としての家。過去にも、現在にも、未来にも実在することのない故郷。しかし家や故郷とは、そもそもが仮想された存在なのではなかったか? 自分の家とは、自分の想いの中にある家なのであって、それは自分がそこに住んでいる間だけの、仮想された家に過ぎない。自分がいなくなればいつでも、他の誰かの家へと取って代わられる、仮の住居でしかない。

ある時、私の住むマンションの、同じ階で暮らしていた男性が亡くなった。新しい人が越してきて、その部屋は今、別の住人の家になっている。20年近く前、中国を旅行していたとき、ホテルが見つからず彷徨ったことがある。ようやく見つけたロシア系のホテルは、私の家、故郷とも呼べるほどの、安息の場所となっていた。先日、近所の家が取り壊されるのを見た。新しい家が建てられると、その前に建っていた家の様子はもう、思い出すことができなくなっていた。

家、そして故郷とは、各人の想いの中にあるものではないか。その想いの外で、故郷とは、家とは、ただ他と変わらぬ空間でしかない。その場所に意味を与えるのは人間であり、人間が変われば、その場所が持つ意味も変化していく。われわれの「HOME」はだから、常に人の想いの中にしかない。その想いとは幻想である。しかし人の幻想は、人にとっての現実である。現実が現実としてあるのではない。意識が、現実を作るのだ。

客家は、自分たちの現実を作り上げるために、中原という幻想を必要とした。自分たちがそこからやって来たと考える起源としての中原に、現実=幻想を求めたのだ。彼らにとって、中原は過去のものではない。いまだ自分たちの現在にあるものなのだ。彼らは相対化を嫌う。相対的な、交換可能な現実ではなく、絶対的で交換不可能な現実、故郷を見ようとする。その力強い客家の目を、「HOME」では見ることができる。

2019/12/23
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