記憶/忘却/執着

それは、過去に経験した多くの事例から算出される、予言的な先読みの能力と言える。

「忘れてみること」「知らないふりをしてみること」。人は、経験を積めば積むほど、次に何が起こるのか、次に何をすればよいのかがわかってくる。先を見通す能力は、仕事や生活を営む上で大きなメリットになる。問題が発生する前に手を打ち、最善の策を取る。それは、過去に経験した多くの事例から算出される、予言的な先読みの能力と言える。

こうした能力には大きなメリットがあるが、デメリットもある。例えば、「可能性が制限される」。常に過去を参照し、そこから未来を予測する。予測した未来から逆算して、現在行うべきことを考える。その結果、人は過去と未来から想定される範囲内でしか、行動することができなくなる。そして、想定外の出来事が起こる可能性を、未然に潰してしまう。

また、「未知の現実に対処できなくなる」。過去の経験に固執し、自分の経験に頼って現在の問題に対処しようとする人は、未知の状況に直面すると、参照可能な過去を見つけることができない。そのため、過去から未来を予測して現在行うべきことを逆算することができず、結果、何をすればよいのかわからなくなってしまう。

どちらも、過去の経験が人を固定化し、「自分はこういう人間である」「自分はこういうことができる」と自己規定することによって生まれる、負の側面であるといえる。こうした認識は、反転すると「自分はこういう人間ではない」「自分にはこういうことはできない」という、消極的、排他的な自己規定へとつながっていく。

人が過去に執着するのは、「失敗することへの恐れ」があるからだ。未知を既知へと変換することで、人はその恐れを解消しようとする。失敗することへの恐れは、反転すると「将来成功したい」「未来を思い通りにコントロールしたい」という欲求になる。過去の経験と未来への欲望に固執し始めると、そのどちらでもない現在に価値を見出すことは難しくなっていく。

過去と未来への固執から導き出されるのは、「結果思考」とでも呼ぶべき意思である。「結果思考」において、重要なのは「成功か失敗か」であり、結果を成功へと導くための過去と、成功した結果としての未来が重視される。それに対して「現在」は、 過去によって規定され、未来への通過点にすぎないものとして軽視されることになる。

「現在」とは、連続して現れ、現れては消えていく、捉えることの困難な様態である。過去のように定着されず、未来のように想定することもできない。現在に対する意思は、「プロセス思考」と呼ぶことができる。現在とはプロセスそのものであり、一瞬間ごとに常に変化し、止まることのない、不確定な状況それ自体である。

過去に確定した「結果」と、未来に想定される「結果」。「結果思考」において過去と未来は、固定された静的なアーカイブである。対して「結果思考」にとっての現在は、過去に帰依せず、未来を不確定なものとする、揺らぎでしかない。「結果思考」は現在を、過去に依存し、未来に奉仕させるための、1つの方法としてやり過ごそうとする。

対する「プロセス思考」において、結果思考の考える「結果」は、変転し続けるプロセスの一瞬間を切り取った、抽象的なフィクションでしかない。結果はプロセスの停止状態を意味するが、停止したプロセスはもはやプロセスではない。停止があり得るのは、かつて現在であったところの過去であり、将来の現在として思い描かれるところの未来だけなのだ。

現在というプロセスの中で、結果は結果として確定される前に、プロセスの波の中へと呑み込まれ、消えていく。人は失敗から逃れ、成功という結果をつかもうとする。しかし、過去と未来によって挟まれることで確立される「自己」への執着は、連続する現在としてのプロセスから自身を引き剥がす、疎外要因となる。そして、こうした疎外から逃れるための1つの方法として、「忘れてみること」「知らないふりをしてみること」がある。

2019/12/31
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