おはぎの「味」

こんにちは。
LITTLE MAN BOOKSの大和田です。

量に比べて、質を伝えることは難しい、と思います。例えばおはぎの「数」を伝えることは誰でもできますが、おはぎの「味」を伝えることはなかなか難しいものがあります。おはぎの味を糖度などに置き換えれば伝わりやすくなりますが、それは味という「質」を「量」化しているわけで、質として伝えているわけではありません。

おはぎの「味」を表現する方法として、言葉や写真、動画など様々なことが考えられます。しかし、いずれも正確な方法とは言えません。それらの方法には、数字に比べて「曖昧さ」が残っています。「客観」としての数字の公平性、中立性に対して、「正確に伝える」という点でどうしても劣ってしまうのです。

こうした「伝えやすさ」そして「正確さ」から、量、すなわち数字は非常に重宝されています。売り上げや注文数、製作日数、製作費、重さ、大きさ、ページ数などなど、「もの」は数字に置き換えられることで「伝わりやすい」ものとなり、実際に流通することによって「価値」となります。

その結果、世の中に多く出回るのは「量的な価値」であり、「質的な価値」は出回りにくいという事態が生まれます。けれど、その「もの」を正当に評価するための物差しとして「量」のみを取り上げるのはフェアではありません。「質」をないがしろにしたところに生まれる評価は、正当なものとは言い難いのです。

例えばおはぎの量が 1日に1000個売れたからといって、そのおはぎが美味しいかどうかの証明にはなりません。また、1日に1000個売れたおはぎが100個売れたおはぎよりも美味しいかどうかは、その1000と100の数字の比較からは証明できません。

「美味しい」という質は、量では表現できません。しかし、量で表現できないからといって「美味しい」という質が存在しないわけではありません。この、「伝えることが難しいが確実に存在する価値」こそが、「質」という価値の定義であるように思います。

こうしたことから、「量の価値」と「質の価値」は、必ずしも連動していないということがわかります。売れるものがよいとは限らず、よいものが売れるとは限らないのです。量と質の間に、相関関係を見ることはできません。同じ「おはぎ」に属するものであっても、そう簡単に比較の俎上に乗せることはできないのです。

このように表現しづらい、伝えづらい、流通しづらい「質」は、しかし実際に食べてもらい「味」を知ってもらうことで、いとも簡単に、そして正確に伝えることができます。この「味」すなわち「質」は、味以外の情報、数字や言葉、写真などには置き換えることのできないものです。

味はどこまでいっても味であり、質はどこまでいっても質である。「味」や「質」が別の情報に還元されることはありません。「置き換え不可能な価値」は、「比較不可能な価値」ということでもあります。その意味で質的な価値とは、「美味しいものは美味しい」といった同語反復に終わる価値でもあると思います。