「終わらせること」のリスク

こんにちは。
LITTLE MAN BOOKSの大和田です。

「終わらせること」そしてそこから「始めること」は、本という媒体の1つの役割です。そして、本はその特質ゆえに、「終わらせること」のリスクを常に孕んでいます。それはつまり、「残すことのリスク」とも言い換えることのできるものです。

本がいかに「動的な展開」を内包させたとしても、それが「終わり」のメディアであることに変わりはありません。それは「終わり」を構成し、固定されたものとして人の前に現れます。人の、動き、変化し続け、止まることを知らない活動は、それが本として表現された瞬間、一時的にであれ「終わった」もの、「終わらされた」ものとなるのです。

固定された「本」という形態は、その形態のまま「残る」ことになり、そのままの姿で「露出」を続けていきます。それは「動き、変化し続け、止まることを知らない」活動体にとっては本来のあり方を反映していない媒体であって、本がその姿を晒し続けることは、自身とその活動にとってのリスクに他ならないのです。

しかしまた、本という媒体の役割はそのリスクを引き受けるところにこそあります。そしてそのリスクを引き受けることによって、本は次なる運動への開始の起点となります。本は、あるアクションの終わりであり、始まりでもあります。

同時に、常に変化し、展開を続けている人にとって、本はその停止、中断にほかならないこともまた事実です。アーサー・ラッセルやブライアン・ウィルソンといった「完成させることのできなかった作家たち」のことを考えると、彼らの「完成させることができない」という本性の中に、彼らの天才性を見いだすことができます。

たゆたう現実の中で、その現実の瞬間瞬間を確実に捉えていく人たちにとって、本(やレコード、CD)という不変のアウトプットは、流れ行く時間からはあまりにも距離のある存在として映っていたのかもしれません。

それゆえ本を作るという作業は、こうした「終わらせること」のリスクを知った上でそのリスクに対峙し、「本当に終わらせてよいのか?」「本当に終わらせることは可能なのか?」と自問自答をし続ける、そのような試みとなるはずです。