「選択」について

選択の準備は、それよりずっとずっと前から始まっている。

「どうして出版を始めたんですか?」と聞かれることがある。それは言われてみればもっともな疑問で、世の中に「出版をやろう」と考えるような人はそれほど多くはない。どころか、ほとんどいないのではないかと思う。だから「出版を始める」という話は、多くの人に、驚きをもって受け取られることになる。

人が何かを始める理由として、「ある人との運命的な出会いから」とか、「長年の夢で」とか、「お金を儲けたくて」のように、なにか特別な出来事や目的があると、説明する上でわかりやすい。けれども今回出版を始めるにあたって、このようなわかりやすい理由は特にない。「自然に」「なりゆきで」「なんとなく」といった、「この人適当なんじゃないだろうか?」と思われる言葉しか返すことができなかったりする。

とはいうものの、入学、就職、転職、結婚…といった人生の一大イベントにおいて、わかりやすい大義名分を説明できる人はどのくらいいるのだろう? 人が何かを選択するにあたって、選択の準備は、それよりずっとずっと前から始まっている。1つの選択は、長い時間と幾多の経験を経た先に、ちょっとしたきっかけでぽっと表に現れ出て、すぐにまた潜り込んで見えなくなってしまう。そのようなものではないだろうか。

僕の実家は本屋を営んでいて、学校が終わると友人と遊ぶこともなく、両親のいる本屋へと直行し、売り物の本をひとり読みふけっていた(その意味で、実家の本屋は新刊書店と呼ぶのにはいささか怪しいものがあった)。大学に入ると、友人たちと常日頃音楽について話していたことを雑誌としてまとめ、レコード屋や本屋さんに置いてもらっていた(それは11号まで続いた)。就職先は出版社を選び、最初に面接をした会社で採用が決まり、他社を受けることも転職することもなく(面倒だったので)、今に至っている。

このようなプロセスの中に、これといった特別な決断や考えは含まれていない。その時々で可能な選択肢の中から、より「無理がない」と思われるものを選んできた末の現在が、今の状況である、ということにすぎない。こうしたプロセスの中では、さまざまな選択を行う中で、さまざまなリターンが自分の身に返ってくる。けれど、その結果としての成否を問うことには、あまり意味がないと思っている。状況の変化や時間の流れに伴い、成功か失敗かの判断は常に変転し、確定するということがないからだ。

僕は「本がないと死んでしまう」というほどの本好きではないし、「1年に1000冊読みます」といった多読、乱読家でもない。けれども、本屋の息子として生まれた僕は、本屋として本を売る環境から始まり、読者として本を読むこと、編集者として本を作ることへと流れていった。それは「流された」のかもしれないし、「流れに乗った」のかもしれない。そして今回、出版者として本を作り、売ることへと流れていくことになったのだ。

「出版する」という発想は、だから、意識の潜在的なところで、少しずつ時間をかけて作られていったのだと思う。動機の一部となるようなものが、澱が溜まるようにして少しずつ沈殿し、いつしか「出版」という言葉となって顕在化し始めた。そして磁石が砂鉄を集めるようにして、その言葉の周りに情報が集まり、漠然とした形を取るようになっていった。そして、とある映画を見たとき「LITTLE MAN BOOKS」という名前が生まれ、そこに、出版社としての明確な形が見えたのではないだろうか。

「編集者としての私」と「出版者としての私」の間には、大きな違いがある。編集者としての私が「私」という単位で本に向き合うのに対し、出版者としての私は「出版者」という単位で本に向き合っていく。出版を行う上で、私には「LITTLE MAN BOOKS」という基準が必要になる。それは実践において、「私」という枠組みをはみ出るものでなければならない。

「LITTLE MAN BOOKS」という基準は、ホームページの「ABOUT」に書かれている通りである。「ABOUT」の文章は振り返りの対象であり、立ち戻って考えるべき軸である。この軸を中心に回転を続ける中で、さまざまな経験が軸の上に積み重なり、層をなしていくことになる。その結果、軸の見た目は変化することになるが、軸そのものがぶれることはない。軸を変えるのであれば、LITTLE MAN BOOKSではない別の軸を、新たに立ち上げる必要がある。

物事は少しずつ、気付かないくらいの小ささで変化し続け、いつの間にか見知らぬ地点にたどり着いている。最初の地点と今の地点との間には、大きな隔たりがあるように感じられるかもしれない。しかし、ある一定の軸さえ見据えておけば、そのプロセスには明確な流れがあり、それが必然であると感じさせるような、偶然の積み重ねを見て取ることができるだろう。

2019/12/10
littlemanbooks.net