覚えているのはたいがい、飲食店で飲み食いしているシーンだったりする。
写真家の中村治さんにはじめて会ったのは、当時中村さんが住んでいた、浅草橋だったと思う。養蜂家の鈴木一さんの紹介で、浅草橋にある小さくて人気のある立ち飲み屋でお酒を飲み、 おいしい 焼き鳥を食べた。その時、僕が出版を始めようとしていること、そして中村さんの写真集をそこから出すといいという話を、鈴木さんが中村さんにしていたことを覚えている。
僕はといえば、1人で出版を始めようという気持ちは持っていたものの、はじめて会った写真家の、しかも写真集というかなりお金がかかりそうで、売れなさそうなジャンルの本を出すというのはなかなか勇気のいることで、その場はやるともやらないともいえない、曖昧な気分で焼き鳥を頬張っていた。
その後も、中村さんと鈴木さんと3人で会う機会が幾度かあって、覚えているのはたいがい、飲食店で飲み食いしているシーンだったりする。月島でもんじゃの店に入って高いメニューばかり頼んだり、もう1軒行こうと考えてうろついた挙句、結局ファミレスしか見つからず、鈴木さんが帰らなければならない時間までひたすら話し続けたり、といった具合だ。
そんなこんなで何度か会っているうち、中村さんの自宅で、中村さんの写真を見せてもらうという話になっていた。中村さんという人物は、人に何かをしてもらう天才的な才能を持っているのだけれど、その時はまだその才能に気付いていなかったので、うっかり中村さんの術中にはまってしまったのかもしれなかった。
当時中村さんが仕事場兼住居として使っていたマンションの一室は、適切なものが適切に配置され、かといって片付けられすぎているわけでもなく、散らかっているわけではもちろんない。そこで居心地よく時間を過ごすのに、よく整えられているといった雰囲気だった。最初仕事場と思ってそこに入った僕には、仕事場にしてはリラックスできて、かといって自宅としてはそれほど生活感を感じさせない、そのニュートラルな雰囲気が印象的だった。
中村さんは中国茶を、中国式の淹れ方で入れてくれて、小さな杯の中身がなくなるたびに、急須から香りのよい中国茶を繰り返し注いでくれた。その間、中村さんは写真についての思いを語っていた。茶を注ぐ手の動きと、注がれた杯から漂う芳醇な香り、中村さんの穏やかな話しぶりには、ちょっとした催眠効果があるように思われた。中村さんの机には、大量のプリントが3つほどの山に分かれて積まれていた。その3つの山は、北京の胡同、チベット、そして客家だった。
どこから見ますか? と聞かれて、僕は北京の胡同から見始めたように思う。それは中村さんの初期の頃の作品で、モノクロで、スナップやポートレートの写真が雑多に混じっていた。それでも、現在の中村さんの人を撮る姿勢は、すでにそこに立ち現れていた。次に見せてもらったのは、チベットの写真だった。赤い僧服を着た僧侶たちの写真は鮮烈な印象を残したけれど、それらの集積から1つの何かを見出すのは、まだ難しいように思われた。
最後に見たのが、客家の写真だった。客家の人々を撮影した写真を見て、僕は、1冊の写真集を想像することができた。写真の数は、物語を形作るうえで不足がなく、これ以上の追加も必要ないように思われた。僕は、中村さんの中で、客家の写真には1つの区切りがついているように感じられた。
2019/11/11
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